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作法

日常生活する上で作法というものが常についてまわる。
言葉遣いや立ち居ふるまいなどである。

「最近の若者は..」という言葉をよく耳にするが、見てるとそれを口にする年配者も本人が気づかないだけで相当なもんである。
一部の若者のような幼稚なマナー違反こそ少ないが、俺は人生をおまいらより長く生きてんだ、みたいな謙虚さの欠片もない素行が眼につく。
いちいち挙げているとキリがないので割愛するが..

ここでふと思った。
この作法というもの、いつどこで習うのか、という疑問だ。

先ず幼稚園で人に対しての礼儀の基本を学ぶ。「おはようございます」「こんにちは」「ありがとうございます」「ごめんなさい」「いただきます」「ごちそうさまでした」

小学生になると、週に何度か道徳教育が行われる。とは言っても所詮机上の論。教科書に従って淡々と進める程度であり実践で応用できるとはとても思えない。作法というものは教えられた記憶がない。

中学校・高校においても道徳教育を始めているが、よほど熱心な先生でもない限り議論の場というのはほとんど設定されていない。

大学においては..皆無。

つまり、家庭以外にきちんと学ぶ場がない..

では、肝心の家庭..親は何をしているのか、ここが一番の問題だ。
マナーや作法は机上で学んだだけでできるものではない。実践が大事だ。
獣の親が子に狩の姿を見せ学ばせるように、親らも外へ足を運び作法を学んで子に助言するのが親の務めである。

しかし、最近はなんですな..自分たちの仕事である「しつけ」を教員に任せ、責任を押し付ける。
つまり、できないからだ。

私ごとだが、剣道と言うのは剣道の理念というのがあって「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」と述べている。
..ということで、何を勘違いしてかこのような世界でも「しつけ」丸投げ、託児所よろしく道場に子供置き去りにして自分らはとっとと帰ってしまうご家庭は実のところ少なくない。
週に数時間の稽古でしつけが身につくのならもっと剣道人口は増えていよう。
共に学ぶ心をもっと持ってほしいのだが..


歳をとると失敗を恥と感じるためそれを避けたがる。よって新しい場所へ出て行きたがらないものだ。
以前の記事にも書いたが、それを避けているようでは成長はないと考える。

「勝ちに理なし負けに理あり」

成功にまぐれはあっても失敗にまぐれはなくそうなった理由が必ずある、という意味だ。
失敗をありがたく受け止め、それを一つずつ時間が掛かってもクリアしていくことが己の質の向上につながるのではなかろうか。

などと書いてる私本人はどうか..
いい歳こいてよくもまぁというほど失敗・失態のオンパレード。人生の先輩方によくダメ出しを喰らう。
「努力は結果を裏切らない」
逆を返せば努力を惜しんでなまかわしてれば結果としていづれ己にしっぺ返しが来ることを意味する。身をもって証明できたわけだ。(苦笑)

毎日ひとつ何かを学び何かを見つける..今はこれが楽しい。

by yath_y | 2009-03-19 22:38 | 日々精進 Devote my life  

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